[雑記]
先の日記に、サイトのカラーリングを変更すると書いたが、実装するのに想定した以上の時間がかかること、また予想と比べて違和感が目につくこ
とより、断念。サイト構成の変更が中心になる予定。作業時間は予定より減ったことになるけれど、減った分がカラーリング変更に費やされたので
大して進んでいない。

ニコニコのランキングを眺めていて気づいたことだけれど、100位以内に上がってくる(歌ってみた系ではない)音楽動画は、ボーカル曲か、作業
用BGMしか存在しない。つまり、ボーカルがない、インストゥルメンタルは人気がないということだろう。人気がないというと語弊があるが
(100位以内に上がってきているのだから、人気はある)、作業用と銘打たれているのだから、ボーカル曲と同列に扱われているわけではない、と
いうこと。つまり、インストゥルメンタルを音楽として真剣に聴く人が少ない、ということだろう。自分としては寂しい限りだが。
そういえば、以前兄弟に「なぜあんな曲(インストゥルメンタルのこと)を聴くのか」と尋ねられたことがある。「ボーカルのない音楽なんて耐え
られない、飽きてしまう、つまらない」というのだ。しかし、彼女たちだって、この旋律が良いとかベースが格好いいとかいう基準はあるはずであ
る。それならば、インストゥルメンタルにも同様に興味を持っても良さそうに思うけれど、不思議なことである。
おそらく、ボーカルというものは、彼女たちにとって単なる音声以上の役割を果たすのだろう。つまり、主旋律をわかりやすい形で提示してくれる
案内役なのだ。インストゥルメンタルでは主旋律がどれか分からない音楽も多い(そもそもメロディが存在しない可能性だってある)。もちろん、
よく聴けば旋律は存在するし、緻密に計算されたメロディに感動することも多いのだが。
しかしそれは、案内役、説明が存在しないと分からない、ということでもある。説明というものも善し悪しで、分かりやすくしてくれるかわりに想
像を狭めてしまう。音楽は聴き手の想像力を使う(幻視する)のが醍醐味だと思うけれど。

などということを、人形の森(蓬莱人形〜dolls in pseudo paradise.)を聴きながら考えました。いつ聴いても、雨の降る朽ちた都市が幻視され
るのだけれど、自分だけだろうか。タイトルの人形って、明らかに人間のことだろうし・・・。